Jの詳しい自己紹介

<Jun-payblog J(ジェイ)>

こんにちは、

ゲストハウスオーナーのJです。

とは言っても2020年にオーナーになったばかりですが、、、

今後のブログ運営の為にも、自己紹介します。

Jのプロフィール

1991年に田舎の病院で産声をあげました。

なんとも3,700gの大きな赤ん坊だったといいます。

三兄弟の末っ子として、18年間実家で過ごしました。

三男って色々楽なんですよね、自由な性格の理由はそれかもしれません。

小・中・高 歳を重ねる毎に衰退…

小学校

人の前に立つことが好きで、根っからの目立ちたがり屋でした。

小学校は足も早くて、勉強もそこそこ、

野球部のキャプテンで、まあまあユーモアもあって、

学校の人気者の一人だったと思います。

先生にも好かれ、友達にも好かれ、

通知表はオール大変良い….だった気がします。

小学校のまま人生が進めば、ママレードボーイの遊みたいな

キラキラした人物が生まれていたのかもしれませんが、

そうはいかないのが人生ですよね〜。それが面白い!

ジェイ
ジェイ
ちょっと古いかママレードボーイ。

中学校

ちょっとおかしくなったのが中学生の頃ですね。

母親と仲の良い先輩の影響でバレー部に所属した

J少年。

大体の男の子が中2あたりで変わっていくものです。

親と一緒にいたくないとか女子との接し方がわからなくなったり、

ちょっと不良がかっこいいみたいな時期ですよね。

決して不良の仲間入りはしないものの、

不良とも仲良くできる一般兵みたいな感じでしたかね。

八方美人で器用貧乏なのが私の長所でもあり、短所でもあるので、

存分に自分のいい所を生かしました。

高校

もうこの頃からはただのアホです。

面白い事言いたいけど、イキってボケて滑るタイプですね。

やっぱり面白いっていうのは列記としたスキルなんだと

この頃には思っていました。芸人さんってやっぱり凄いです。

勉強はダメダメでしたが、スポーツは得意だったので、

なんとか体育大学に進学を決める事ができました。

いやあもうこの頃まではなーんも考えずに過ごしていましたね。

人生を変える大学生活

この大学生活が今につながるストーリーになっているのかもしれません。

まずなんか運動部入りたいなぁ….とか思っていたら、

たまたま高校バレーの時の知り合いがいて、「バレー部体験入部行こーぜー」

と誘われたので、行きました。

そしたらスラムダンクに出てくる魚住純みたいなでっかい人たちばっかりで、

宮城リョータと同じ身長の僕は挫折しました。はい無理〜。

そして感傷に浸っている所、目にしたのがブレイクダンス同好会でした。

この出会いが人生を変えましたね。

え、これ人ができるの?みたいな動きをしている先輩たちに一目惚れをして、

即入部届を出し、ブレイクダンスを始める事となりました。

今後ダンスに関わる記事も書いていきたいとも思っていますが、

正直ブレイクダンスの歴史がめちゃめちゃ面白い!

ニューヨークのブロンクス地区で殺し合いをやめてダンスで勝敗つけようや。

となったのが始まりで、1970年代発祥でまだまだ歴史は浅いですが、

当時のJ青年はのめり込んで行きました。

2年間毎日ブレイクダンスをしていると、あるきっかけを期に

海外行きたいな、と思いました。

次の日に休学届を出していたのを覚えています。

バカですね〜「若さ」って人をバカにしますね〜笑

そのバカが飛び立ったのが、カナダトロントです。

1年間のワーキングホリデーで留学生活をすることになりました。

最初はホームステイで語学学校に行って、

放課後は現地のダンサーがいるところに行って、

毎日夜まで踊っていました。

正直そこでたくさんの現地のダンサーと

仲良くなって、英語力もめちゃめちゃ伸びました。

ダンスをやっていて良かった〜って思いましたね。

カレッジストリートっていう通りのバーイタリアとかいう飲食店で

何ヶ月か働き、そのお金でフロリダ、ニューヨークに遊びに行ったりして、

人生楽しんでいました。

いやぁ、やはり楽しい時間ってのは早くすぎます。

1年がもう体感的には3日くらいです。

本当に帰りたくありませんでした。

でも大学卒業しないと就職できないかもなあ、

とか思っていた真面目なJ青年は、

日本に帰国することとなりました。

帰国後にしたことは、まず大学復学です。

カナダでたまたま知り合った有名な日本のダンサーさんが

行っていた大学を聞いて、そこなら踊れる施設いい感じよ。

みたいなのを聞いて、さらに外国語大学だったので、

そこにいくことに決めました。

3年時編入で見事試験合格し、大学3年生がスタートしました。

TOEICの筆記と英語の質疑応答を少しで、めちゃめちゃ簡単に入れました。

試験までの手続きの方が大変だったのを覚えています。

新たな道

大学編入をした時は、目立ちたがりのJ青年は

とても嬉しい気持ちになりました。

『編入生でブレイクダンスしている海外留学帰りの田舎者』

結構目立ちますよね。

すごい人から話しかけられるようになって、

あれ?これが充実したキャンパスライフってやつなのか、、

と思いました。

しかし、人の噂も七十五日とことわざにもあるように、

日に日になんのスキルもないじゅんペー青年には人も

寄ってこなくなりました。

ポッと出の弱小高のルーキーが芽を潰された感じですね。

海外帰りで怖いもの無し+自分の事をコミュニケーションお化けと

勘違いしていたので、その環境に落胆したのを覚えています。

その頃から、少しでも能力を身につけたいと思い始めました。

まず始めたのが、世間を知ること。

毎朝大学の図書館に行って新聞を読むのを日課にしました。

……3日間で終わりました。

ニュースを毎日見ることを心がけました。

……3日間で終わりました。

ダメ人間が出来上がりました。

それでもそこそこの中堅会社に就職できるのが、

新卒採用の強みなのです。

業績もまあまあ良い、エリート大学の人間ばかり集まる

商社に就職を決めました。

当時なぜ採用されたか不思議だったので、

内定後、採用担当の人になぜ私が採用されたのかと聞いたら、

「なんか経歴が面白かったから」と言っていました…..。

まあそんなものです。なんの能力もないけど若さがある!

伸び代+今までの経験を評価されたとポジティブに考えました。

トントントーーン

なんの刺激もない仕事で、正直全く能力のないJ職員は、

ついに決意します。辞めよう….

他のきっかけもあり、

約4年間新卒で入社し勤めた会社を辞めることにしました。

会社を辞める時は結構引き止められました。

だってそうですよね、離職率上がっちゃうし会社の評価的に悪いし、

4年間育てたのに、また新人入れて一から教えなきゃだよ…めんどくさ。

ってなりますよね。

でも無事に退職することができました!その時はストレスから解放されて、

顔のシワが2本くらいなくなった気がしましたね。笑

支店の皆さんには本当にお世話になったので、

そこは寂しくもありましたが、まあ人生一度きりなんで。

退職後、ブログを立ち上げ、スタートしたと同時に、

以前から興味があったゲストハウスで働く事にしました。

少し前に地元でゲストハウスができたぞー!

みたいなのを友人が言っていたのを思い出して、

そこのオーナーさんに連絡をしたら、まだバイト募集してます。

という事だったので、面接を受け、採用を頂きました。

いや〜しかしですね、、、、、、コロナ!

ちょうど採用されたのが新型コロナウィルスが大流行する

直前でした。

案の定緊急事態宣言が宣告され、宿泊者はゼロになりました。

ヤバイな、、これはもういきなりクビかな?…

と思っていた矢先に飛び込んで来たのが、

ゲストハウスのオーナー権譲渡のお話。

すぐ飛びつきました。

ゲストハウスやります!!

商社退職後、3ヶ月で居抜き物件を獲得しました。

もちろん大金をお支払いしましたが。

こんな時期に経営者になろうと思った理由は3つ。

・多分今誰も開業しようとしないからライバルいなそう

・コロナ終息が1年後としてもなんとか借金せずに生活できそう

・楽しそう

勢いもありましたが、経済的なことも考えて、

始められることがわかったので、やることを決意しました。

そんなこんなでトントンと話は進み、

29歳でゲストハウス&バーのオーナーになりました。

今後も世界遺産の記事やゲストハウスやダンスに関わる記事等

あげていきたいと思いますので、宜しくお願いします!

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