日本の世界遺産は23件です。
日光東照宮、行った事ある人が多いのではないでしょうか。
今回は、世界遺産「日光の社寺」ができるまでの歴史と、
3つの構成資産の見どころを紹介していきたいと思います。
歴史や構成資産をより詳しく知ることで、
自然と建物が調和した美しい日光の社寺への興味はより一層深まっていくことでしょう!
日光の社寺
1999年に日本の10個目の世界遺産となりました。
資産は二社一寺の3つで構成されていて、
その資産の中にある103棟の建物と周辺の文化的景観が世界遺産に登録されています。
二社一寺の3つの資産
・日光東照宮
・日光二荒山神社
・日光山輪王寺
103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)
と周辺の文化的景観が世界遺産登録
世界遺産登録基準はコチラ↓↓↓
(i)人間の創造的才能を表す傑作である。
(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
(vi)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
登録基準から見ると、人間の創造的才能を示し、歴史的に重要な価値のある建造物で、
景観がよく、生きた伝統を見る事ができる遺産である事ですね。
日光の社寺は、この登録基準にまさに適していると見て取れます。
歴史を見てより一層の理解を深めていきましょう。
歴史
標高2,486m 霊峰男体山と勝道上人が、
日光の社寺の起源とされています。
勝道上人が7歳の時、明星天子という神様が夢に出てきて、
大きくなったら仏になって日光山を開きなさいと言われ、
彼は仏になる事を決意しました。
その通りに仏の道へと進んだ勝道上人は、
32歳の時、1250年前766年に男体山(後の二荒山)登頂を決意しました。
登山道のような整えられた道はありませんので、
橋(神橋)を作って渡ってその地に拠点をつくり、
登頂を目指していました。
ある時、パワーを感じる場所を見つけました!
ここに造れってことか、、、と悟った勝道上人は、
そこに四本龍寺と、本宮神社を建てました。
それが今の日光山輪王寺と、二荒山神社の起源になります。
16年の月日をかけて、782年
やっと、男体山の頂へたどり着きます。
長い登山でした、、、。
その後社の発展の為に尽くし、
83歳で一生を終えました。
月日は経ち、江戸時代1616年、
江戸幕府初代将軍徳川家康が死去し、
日光東照宮の最も奥の建物となる
「奥社宝塔」に埋葬されました。
家康がなぜ日光を選んだのか…
それは、家康の遺言に死後山岳信仰の聖地である
日光から世の裔を守りたいと書かれていたからなのです。
その後1636年に家康の孫である三代将軍家光により、
現在に通づる、絢爛豪華な東照宮の社殿が造り上げられました。
こうして日光の社寺は誕生しました。
歴史がわかったところで、見所を見ていきましょう。
3つの構成資産の見どころ
構成資産の二社一寺に分けて見ていきましょう。
二社
・日光東照宮
・日光二荒山神社
一寺
・日光山輪王寺
見どころ1/全て木造建築
驚きなのが、この二社一寺の構成資産の建物全てが木でできている事です。
全て木造建築で造られていて、耐久性に不安があるように
思われますが、全て漆を塗られているから大丈夫なのです。
漆は木を腐らせないような作用があり、
長年日光の社寺を支えてきました。
一本の漆の木から年間コップ一杯分しか取れないのです…


見どころ2/日光東照宮
日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍徳川家康が祀られている所です。
死後も神となって国を守ろうとした家康の
想いが如実に残る聖地なのです。
陽明門
東照宮の名物陽明門は高さ11.1m奥行き4.4mで、
500個以上の彫刻群が並ぶ入り口内部の天井には、
青と金の東照大権現と記載された表札が見えます。
それは家康の側近であった秀才僧の天海が家康を神と崇め命名しました。
他にも、400年前に描かれた陽明門の天井に描かれる江戸最高の
天才絵師”狩野探幽”による昇り竜と降り龍はたった7色の岩絵具で描かれています。
天然の岩絵具は紫外線を通しにくい為、鮮やかな色を保ちます。
東照宮の建築はすべて七色の岩絵具で色付けられているところも、
見どころの1つかもしれません。
陽明門は、江戸時代から数えて20回以上の修理が行われており、
門そのものが伝統の記憶装置であると言えるでしょう。
新厩舎に飾られる彫刻
眠り猫
有名な彫刻の眠り猫。
猫の裏側には雀の彫刻があり、
猫が起きていれば雀は食べられてしまうが、
猫も眠り、共存共栄で平和な時代を表しています。
三猿
見ざる言わざる聞かざるで有名なこの彫刻。
子供のうちは、悪いことは見たり言ったり聞かないで育ちなさいという教えで、
三猿を含めた8個の猿の彫刻が人間の人生を描いた作品とされています。
見どころ3/日光山輪王寺
日光開山の祖である勝道上人が四本龍寺を766年に建てたのが由来です。
15の子院の総称が輪王寺です。
三仏堂が最も大きな建造物であり、
男体山を御神体とする千手観音等を祀り、
山岳信仰の聖地として日光を体現しているのです。
その勝道上人のお墓は輪王寺の敷地内の
開山堂にあります。
現在の開山堂には
勝道上人の坐像が祀られています。
また、15個ある子院の中にある
輪王寺・大猷院には、
家康の孫徳川家光が眠る場所でもあります。
見どころ4/日光二荒山神社
日光開山の祖である勝道上人が本宮神社を建てたのが由来です。
神仏習合の霊場として栄えた二荒山神社は
縁結びの神様を祀る神社です。
縁結びの日光三社権現として
有名な3社がコチラ
・二荒山神社
・本宮神社
・滝尾神社
二荒山神社構成
拝殿・・・日々の祭殿などで人々が訪れます。
本殿・・・1619年に建てられた当時のままの景観を残しています。
本宮神社・・・二荒山神社の起源である神社です。
滝尾神社・・・最も山深い地にある神社で、運試しの鳥居(※)があるのでも有名ですね。
※運試しの鳥居とは小石を三回投げて穴を通れば運が開けると言われている鳥居です。
他にも、男体山の山頂にそびえる大剣も再現されていたり、
小さなハートの形の絵馬に願い事を描きハートの的に投げる等、
二荒山神社には、多くの楽しめるスポットがあります。
まとめ
世界遺産日光の社寺について理解いただけたでしょうか。
二社一寺の構成資産で、勝道上人が男体山を登ったのが起源でしたね。
日光東照宮は徳川家康が神として眠る神社である事、
今の豪華な東照宮は家康の孫家光が作った事、
日光の社寺は、魅力あふれる世界遺産
であることは間違いないと思います。
・日光の社寺とは
・起源の歴史
・三つの構成資産の見どころ
・日光東照宮
・輪王寺
・二荒山神社
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