石見銀山遺跡とその文化的景観の歴史!世界遺産登録日と登録理由を解説!

日本の世界遺産は23件あります。

その中でも石見銀山遺跡とその文化的景観は

アジアで初めて世界遺産に登録された鉱山遺跡です。

具体的に銀山って何?
何を見ればいいの?
いつ世界遺産に登録されたの?

て思いますよね。

そこで今回は、

石見銀山遺跡とその文化的景観の歴史
世界遺産登録の登録日登録の理由
14つの資産の紹介

についてお伝えしていこうと思います。

世界遺産!石見銀山遺跡とその文化的景観の歴史

「石見銀山遺跡とその文化的景観」

16世紀〜17世紀にかけて発展した銀山と、
周りの景観を含めた14つの資産で成り立つ
世界文化遺産です。

所在は島根県太田市に位置する
日本最大の銀山であります。

1526年に発見され、
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて
最盛期を迎えました。

かつての日本は世界の3分の1の
銀の産出量があったとされています。

3分の1の大半が石見銀山で採れたとの事ですので、
街は栄えに栄えた事でしょう。

その歴史は230年とも言われています。
すごいですよね。

230年の歴史を追っていくとこうなります↓↓

石見銀山は1526年、博多を拠点とする
商人の神屋寿禎(かみやじゅてい)により発見されました。

神屋寿禎はその地域を納めていた大内大名に
仕える形で銀山開発を行なっていました。

その後、1550年代に大内が滅亡し、
新たに侵入してきた尼子(アマゴ)大名が5年間銀山を統治します。

その後、1562年に広島の大名毛利が軍事的に制圧。
1580年代には毛利が豊臣に仕える形で統治。

その後豊臣軍は1600年関ヶ原の戦いで徳川軍に敗れ、
石見銀山も徳川家康率いる江戸幕府の支配下となりました。

1868年江戸幕府が終わると、個人経営者の所有物となったり、
県や市が保護するようになりました。

こうして日本の歴史と共に石見銀山も
変容を遂げているわけです。

面白いですよね。

世界遺産登録日と登録の理由

2007年7月にニュージーランドで行われた、

第31回世界遺産委員会にて
世界文化遺産に認定されました。

その世界遺産に登録された理由として三つあります。

理由その① 世界に流通する質の高い銀

石見銀山でとれた銀はとても良質なもので、
世界的に通貨の素材として使われていた為、
貿易が盛んに行われ、文化交流を生み出しました。

理由その② 銀開発のありのままの姿が残っている

当時の銀生産に関わった場所や姿が残っている為、
伝統的に継承されているものとして評価されました。

理由その③ 自然と共存共栄

銀山開発には多くの木を伐採し、銀採取をする事が多く、
当時の森林の姿のまま維持するのは不可能に近いですが、

石見銀山は、当時鉱山開発の為に掘った穴を埋めたり、
人工的に植林し、元の姿に戻す取り組みをしました。

そう言った適切な管理をし、
自然と共存共栄の点が大きく評価され、
世界遺産となりました。

世界遺産登録基準はコチラ↓↓↓

(ii)
建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、
ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。

(iii)
現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として
無二の存在(少なくとも希有な存在)である。

(v)
あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは
陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。
又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である
(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)
日本ユネスコ協会ホームページ 引用

面白いです!!
石見銀山遺跡とその文化的景観がアニメでわかる!!↓↓↓

14つの資産紹介

1、銀山柵内(ぎんざんさくのうち)
銀生産に必要な探鉱・採鉱・選鉱・製錬・精錬の5つの工程
の諸作業が行われた場所です。
2、代官所跡(だいかんしょあと)
江戸時代に幕府が役人を派遣し、
石見銀山と周辺の村を支配する為に作られました。
3、矢滝城跡(やたきじょうあと)
4、矢筈城跡(やはずじょうあと)
5、石見城跡(いわみじょうあと)石見銀山を保護する為に作られた軍事施設
大内、尼子、毛利の領有争奪戦にて使われました。
6、大森銀山(おおもりぎんざん)
銀山がある地区が大森町であり、
銀山と共に発展を遂げた鉱山町。銀山柵内の東側の地区で、
17世紀には銀山の中心地としても栄えました。
7、宮ノ前地区(みやのまえちく)
大森地区で発見された銀の精錬工房所。
8、熊谷家住宅(くまがいけじゅうたく)
有力な商人の家で、34の部屋があり、
重要文化財にも指定されています。
9、羅漢寺五百羅漢(らかんじごひゃくらかん)
銀山で亡くなった人の霊と、先祖の霊を供養するために建てられた
5百1体の羅漢像が安置されています。
10、鞆ヶ浦道(ともがうらどう)
石見銀山と銀山から西方6kmに位置する港町鞆ヶ浦を繋ぐ道。
11、温泉津沖泊道(ゆのつおきどまりどう)
石見銀山から西田という街を経由して、
温泉津・沖泊を繋いだ約9kmの道。
12、鞆ヶ浦(ともがうら)
銀山で採れた銀を博多に運ぶ為の
経由地として作られた港町。
13、沖泊(おきどまり)
温泉津に隣接する港。
16世紀後半に鞆ヶ浦に代わる銀の搬出港でした。
14、温泉津(ゆのつ)
銀山の大事な港町。
銀山に住む人に必要な食料、
銀山で働く人に必要な精錬材料などを
港から流通させていました。
ジェイ
ジェイ
これなら銀が採れて諸外国との貿易を行うまでの一連の流れがとてもスムーズにできるね。
私
周辺施設が世界遺産構成資産となっている所以だね。

まとめ

世界文化遺産の
「石見銀山遺跡とその文化的景観」
について解説していきました。
いかがだったでしょうか。

石見銀山の歴史を学べる石見銀山世界遺産センターは
新型コロナウィルスの影響もあり、閉館しておりましたが、
5/25から開館しています。

石見銀山世界遺産センターでは、実際に銀を加工し、
自分のキーホルダーを作ったりする事ができます。

島根旅行の際には石見銀山へ足を運びましょう。

ポイント

・石見銀山遺跡とその文化的景観の歴史
・世界遺産登録日  2007年7月
・世界遺産登録理由
①世界に流通する質の高い銀
②ありのままの姿が残っている
③自然と共存共栄
・14つの資産紹介

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


%d人のブロガーが「いいね」をつけました。